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2007年 06月 05日
葉山に住み始めて、いろんなものの見方が少しずつ変わりつつある。
「なんだろう、この変な感触」と思いその感触をたどったら、それは「選択すること」だった。 「ものごとを選ぶ」ということ、について、ちょっと一考。 東京に勤務して、東京に住んでいると、とかく「雑食」になる。 なんというか、なんでもかんでも「自分にどんどん入ってくる」イメージだ。 それは物理的に生活の中にある。例えば、24時間開いてるコンビニがすぐ近くにあってすぐ立ち読みができることとか、電車の中吊りで政治家のスキャンダルが目に入ってくるとか、行き交う人のファッションを見て「ああ、夏がくるから籠素材のバッグを買わなきゃ」と思うこと、とか。暇になるとそれらと同化しがちだ。つい立ち読みしたり、政治家のスキャンダルに憤ったり、籠バッグを買うべきか悩んでみたりする。 コンビニでの立ち読みや、帰宅途中に買うプリンや、中吊りで読む芸能ネタ、そういうものはとても「加工物」だ。現代社会に生きていれば、身の回りのものはすべて加工されたり人工的だったりするのは当たり前。それらはとても便利だし重宝する。だけれど、さっき挙げたアイテムには「用意されている」とか「目の前に差し出されている」感じが強い。そしてそれらは日常の中にいやおうなしに目に飛び込んでくる。自分の「思考=泳ぐ」と例えてみると、用意されている池の中で泳ぐような感覚—。広い海を泳ぐのではなくて。 葉山の自室でこうしてパソコンに向かっていると、山を響き渡るウグイスの声が聞こえ、風が山の木々をそよぐ音が聞こえる。それらはコンビニの商品やら中吊りやらが話しかけてくるような「こうしたら?」と「提案」ではなく、「君はどうしたいの??」と「話かけてくる」感じ。だから、いろんな情報が自分の中に入ってくる前に、「いま何がしたいか」ということを自分の中で探る作業をする「間」ができる。 クリアな空気と、それらを形作る自然は、物理的にすごい。 それらには自分本来が持っているリズムを気づかせてくれる、のかもしれない。 なーんて思ってみたりするのである。 写真:去年、圧倒的な自然の在り方にノックアウトされたカナダ・ソルトスプリング島での夜明け。
by nahobbr
| 2007-06-05 01:57
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